竹谷さんだから聞けるパン職人の理想と挑戦-vol.10 毎日食べて「この味が好きだな」っていうぐらい浸透していくようなパンを求めていきたい
前編 後編

前橋の高級住宅街にある「欧風パン屋」

高木
 この辺りは新しい店が多くて、前橋の代官山って言われています。開発されはじめた時期のオープンだったので、新しいテナントに入れました。店の裏は群馬大学です。
竹谷
 それで緑が多いんですね。高木さんは、どこで修行されたのですか?
高木
 前橋のドンキーです。個人店なので、あまり知られていないと思います。高校卒業してすぐドンキーに入って、10年ぐらい勤務しました。そのあと、ベーカリーカフェをやりたくて、カフェで2年ぐらい料理の勉強をしたのですが、料理側からパンを見る機会となりました。前橋のパン屋って惣菜系のパンが多くて、自分もそれでいいと思っていたのですが、料理側から見るパンって食事パンが多い事に気づきました。そういうパンもしっかり取組んでいるパン屋ってかっこいいなと考えると、パン屋でしっかりやらないと駄目だと考えるようになりました。
竹谷
 カフェの経験が活かされていますよ。その2年がないとこれだけバラエティのあるアイテムは出来ませんね。
高木
 店の周辺は高級住宅地なので食事パンの需要が多く、出せばそれだけ反応があります。

やればやるほどパン作りに夢中



竹谷
 そもそも何故パンを目指したのですか?
高木
 高校3年のときにパン屋でバイトしていました。その前はステーキ屋でバイトしていたのですが、体に染みつく匂いが油臭くて。いい匂いのところがいいなと思って、それでパン屋にしようと。高校3年の時にドンキーでバイトして、そのまま就職したのですよ。
竹谷
 奥さんとはどこで知り合ったのですか?
高木
 23歳の時、パン屋をある程度やって自分を見直そうと思い、オーストラリアに語学留学して英会話学校で知り合いました。その頃は、仕事が嫌になっていたのかもしれません。もうパンはいいやって思い、向こうに住みたいなぐらいの気持ちでしたが、やっぱり日本がいいなと思い帰ってからドンキーに再入社しました。
 独立するまでパンの勉強はした事がありません。遅いのですが、独立してから勉強を始めて、パン屋ってこんなにおもしろい仕事なんだって気づきました。やればやるほどパン作りにはまってしまいました。それでパンの勉強会に出るようになり、そこでドンキーでいっしょだった大島政次郎さん(前橋市「政次郎のパン」)と再会しました。政次郎さんは年下ですが、自分より先に店をオープンさせていて友人でありライバルのような関係です。
竹谷
 仲間であり、ライバル。それがいちばんいい関係だと思います。大村田さん(太田市「マイピア」)との「群馬3人組」は仲がいいですね。
高木
 向かっている方向が一緒なんでしょうね。大島さん、大村さんがいるおかげで、明石克彦さん(ベッカライ・ブロートハイム)や倉田博和さん(デイジイ)と仲よくさせていただいています。独りじゃこうはいかないですよね。

生地の美味しさをどこまでも追求

竹谷
 講習会のアイテムをちゃんと店で実践しているのが素晴らしいですね。
高木
 実践しないと宝の持ち腐れになってしまいます。どこから始めようかって思うぐらい、やりたいパンがいっぱい有り過ぎます。例えば、ドイツパンならライ麦の比率が違うものを何種類もやりたいけど、1日2~3種類が精一杯なので、日替わりでライ麦の比率のちがうパンを出しています。ライ麦比率が高いパンをもっと浸透させていきたいですね。
竹谷
 グランボワさんはライブレッドを大きく焼いているのがいいですね。あまり売れないと小さく焼いてしまいます。ライブレッドって大きいのを1時間焼くからしっとりさがでるのですよ。
高木
 逆に、どんどん基本ばかりに戻ってしまって、オリジナリティを出す商品が少なくなっているのが問題かもしれません。商品開発を自分しかやってないので、決めるのも全て自分です。一度何かに嵌ってしまうとそこから抜け出せなくなってしまいます。凝り性なんですね。

竹谷
 お客さんが買い易いものと、自分の拘っているものとの割合を、7:3とか6:4に決めるのがいいですね。私は生地ばかりに関心が行くので、3割はお客さんの食べやすいアイテムにしないといけないって、常に自分に言い聞かせています。
前編 後編

※店舗情報及び商品価格は取材時点(2013年7月)のものです。最新の店舗情報は、別途店舗のHP等でご確認ください。

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