
「竹谷さんだから聞けるパン職人の理想と挑戦」の2015年新春企画として、東京都世田谷区の名店「ベッカライ・ブロートハイム」店主 明石克彦さんとの対談が実現しました。地域の人はもちろん、全国にファンを持つ「ベッカライ・ブロートハイム」。その味を守り続ける明石さんのパン人生を、豊富な経験、さまざまな人との出会いを含めてお伺いしました。
- 竹谷
- 本日はお時間をいただきありがとうございます。
- 明石
- 竹谷さんとお話しさせていただく機会をいただき大変光栄です。
- 竹谷
- さっそくですが、パンに興味を持ったきっかけはなんでしたか?
- 明石
- パン好きの父がよく会社の帰りにパンを持ち帰ってきたことです。 はじめは甘い菓子パンの方が好きだったのですが、いろいろと勧められて食べていくうちに「不二家」のバタールの味が好きになっていったことを憶えています。
- 竹谷
- 子どもの頃からおいしいパンに出会っていたんですね。他にも印象に残っているパンはありますか?
- 明石
- 母が買ってきた「ホテルオークラ」のバタール、「神田精養軒」の石臼挽きの食パン、「ニュージャーマンベーカリー」のホワイトブレッドです。この味を超えるパンには未だに出会えていないと思えるほどおいしかった記憶がありますね。
- 竹谷
- ご両親からおいしいパンに出会えるきっかけをいただいていたんですね。
- 明石
- おいしいパンを食べさせてもらったおかげで今の自分があると思うと、両親には本当に感謝しなくてはと思いますね。


- 竹谷
- そんな大好きなパンを作るという職を選んだのはどうしてですか?
- 明石
- 知り合いが新宿で桜製菓を経営していました。そこで手伝いをはじめ、調理場に入ることになったのですが、ある日突然、調理場のスタッフが全員やめてしまうという事態になって、そこで私が調理を任されました。ボルシチなど当時食べたこともない料理を作らなくてはいけないというのは大変でしたね。
- 竹谷
- そこで料理の知識も身につけられたのですね。
- 明石
- はい。しかし料理と一緒に出していたロールパンは、あまりおいしいものではなかったのです。
- 竹谷
- それはどのように改善したんですか?
- 明石
- 桜製菓には、ブルガリア大使館と組んで経営していた「バルカン」というレストランもありました。そこではブルガリアでピタと呼ばれるパンを厨房で作っていたんです。面白そうだったので私も手伝っているうちに、パン作りは面白く、そしてやはりパンはとてもおいしいと再確認しました。
- 竹谷
- その時にパンへの想いが強くなったんですね。
- 明石
- はい。そこでレストランで提供するパンを自社で作ってはいかがですか?と会社に掛け合ってみました。すると中野富士見町の店舗をパン屋にするからいかないかという提案をいただき、すぐに行くことに決めました。
- 竹谷
- しかし、パン作りのしっかりとした経験はなかったんですよね?どのように学んでいたんですか?
- 明石
- 本当はパン職人が一人入るという話だったのですが、オープン間際になって来ないということがわかりました。急いで本屋にいって「パンの研究」という本を買い、その通りに作っていましたね。イギリスパンやデニッシュなどは簡単にできました。しかしフランスパンに挑戦した瞬間に大きな壁にぶつかったんです。そこからどんどんパンが難しくなっていきました。一生の仕事をパン職人にしようと決めたのはこの時でしたね。パン作りの難しさ、奥深さに大変興味をそそられました。


※店舗情報及び商品価格は取材時点(2015年2月)のものです。最新の店舗情報は、別途店舗のHP等でご確認ください。