菓子職人の方々へのインタビュー連載。今回は、西馬込「メゾン・ド・プティ・フール」オーナー、西野之朗(にしのゆきお)シェフです。東京・世田谷区の「オーボンヴュータン」にオープニングスタッフとして入社。1983年に渡仏し、パリの「メゾン・ド・ロイ」、「アンチュール」などで修業。帰国後の1990年、日本初の焼き菓子専門店「メゾン・ド・プティフール」を開店されました。パティシエ歴40年を経た今、お菓子やお店づくりで考えること、今後の菓子業界について思うことなど、お話を伺いました。
- 平岩
- 今日はどうもありがとうございます。先日、「クラブ・ドゥ・ラ・ガレット・デ・ロワ」の勉強会で、2018年度からの新会長に就任されたとの発表がありましたね。
- 西野
- 「ガレット・デ・ロワ」という菓子もだいぶ広まったよね。ずっと「パティシエ・シマ」の島田進さんが会長を務めてこられて、この10年で、クラブの活動もある程度のところまで来たけれど、最近はまた状況が変わってきた。今は、多くの菓子店が半製品を買う時代になってるし、自分達の世代は、若い人達とのギャップもある。菓子屋の仕事というものは、本来はこうやってきたんだよということを伝えていくというのが、自分達の役目だし、クラブのするべきことだと思う。勉強会や講習会にも、若い職人さん達に、もっと来てほしいね。
- 平岩
- そういった想いは、お店の若いスタッフの方々に対しても、感じていらっしゃいますか?
- 西野
- アングレーズの炊き方一つ取っても、長年培われてきたやり方で、完成されたものなんだよね。うちは、かなり昔からいる子達がほとんどだけど、単なる作業の手順じゃなく、なぜこうするのかという作業の意味を教えるようにしています。
- 平岩
- クラブも西野シェフも、伝統を大切にしていらっしゃる一方で、ガレット・デ・ロワのヌーヴェル部門のような、新しいものへの挑戦もされていますよね。
- 西野
- クラブでも、ヌーヴェル部門には力を入れていくつもりだよ。自分も、勉強会には、ガトーバスクの中にガレット・デ・ロワを入れて焼いてる、なんていうのを持っていったね(笑)。
- 平岩
- あれは、「まさかの!」とかなりびっくりしましたが、ガトーバスクがスペシャリテでいらっしゃる、西野シェフならではのお菓子でした。コンテストのヌーヴェル部門に出すにも、若いパティシエの方々は、どこまでアレンジしていいのか?と迷いながらつくっていらっしゃるのではないかと思いますが・・。
- 西野
- 味としては間違っていないもので、全体のバランスが取れていないといけないよね。だから、我々が率先して、新しいものを出していかないといけないなと思っています。そして、ガレット・デ・ロワの由来を考えると、エピファニー(イエス・キリストの“公現”、即ちこの世に現れたことが公に知らしめられたことを記念する祝日)に食べるものなのだから、一年中販売しているのは本来だとおかしい、とか、きちんと伝えていかないとね。
- 平岩
- 勉強会では、クラブの若手メンバーの方々がデモンストレーションをなさって、それに対して、西野シェフや、「ノリエット」の永井シェフ、「パティスリー キャロリーヌ」の中川シェフといった大御所のシェフ達からも意見が出て、これまでで一番、喧々諤々の議論になりましたね。とても興味深い内容でした。
- 西野
- 若手とベテランが率直に意見をぶつけ合えて、良い場だったと思う。最近は、そういう機会も少なくなっているから。 今、フランスでも週35時間労働になって、ベテランが若手に技術を伝え、彼らがそれを覚える時間というのが無くなってるんだよね。もちろん、決められた範囲で仕事をする、ということは必要だけど、仕事とは別の時間で勉強をしなくてはいけない。だからそういう機会をつくっていきたいね。
- 平岩
- 仕事の効率化ということは、多くのお店にとって課題ですね。人手が足りなくても対応できるようにと、機械を導入されるところも増えています。
- 西野
- カットする機械とか生地を絞るデポジッターとかは、うちでも使っているし、機械化してもいいところはあると思う。でも、菓子づくりの本質に関わる部分は、職人がやっていかなくてはならないよね。






- 平岩
- 西野シェフは、スタッフの方を採用されるにあたって、面接で、どんなことを聞かれるのですか?
- 西野
- なぜ、この店に来たいの?どこが好きなの?ということだよね。それは、仕事を続けていくのにすごく大事。人がいない、不足しているからと言って、誰でもいいから入れてしまうというのはいけない。中のスタッフ達のモチベーションも下がってしまうから。
- 平岩
- 所属されている会のお仕事等で、外に出られることも多いかと思いますが、スーシェフの方はいらっしゃるのですか?
- 西野
- 今はいない。任せられる人間がいない時は、無理に任命しないことにしています。その分、一昨年くらいから、外での仕事をあまり受けないようになって、自分が店にいることが多い。昔は、東アジア圏での長期の講習会なんかにも行ったけれど、外に行き過ぎると、スタッフのモチベーションが下がるのを感じるんだよね。若い頃は、自分の経験のためにも、多くの人に店や自分を知ってもらうためにも、外に出ていく時期があってもいいと思うけど、ある程度になったら、しっかりお店を見る方向に変わっていくね。
- 平岩
- 西野シェフがお店を始められた頃と今とでは、製菓業界もずいぶん変わっていると思いますが、最近の状況については、いかが思われますか?
- 西野
- 店のオープンは1990年だから平成2年だけど、創業は昭和60年で、卸しから始めた。当時は、フランス菓子が日本に浸透していく最初の頃だったから、まだ世に出ていないお菓子が色々あって、目新しいものを試すチャンスだったよね。それに、「オーボンヴュータン」の河田シェフがフランス菓子というものの基盤をつくってくれていたから、いい時代だったと思う。
- 平岩
- 今は、原材料の価格も上がっていますし、若手のパティシエの方が独立開業するのも、色々と大変な時代ですね。
- 西野
- 個人で店をやろうとすると、最近は、15-20坪くらいでやる子が多いでしょ。それだと、製造能力が足りなくて、催事をしようと思っても負担だよね。うちは、店舗は5坪程度でも、厨房はすごく広く取ったからね。でないと規模を広げられない。サロンや店舗スペースも大事だけど、生産を伸ばすには厨房が重要だね。
- 平岩
- そんな中でも、スタッフの方が独立しようとしていたら、どのような言葉をかけられますか?
- 西野
- 原材料価格もあがり、求められる労働環境の基準も厳しい。人手も不足しがち。そんな今だからこそ、「本当にやりたい物を見極めてやれ」ということと、「生産する拠点をしっかり考えなさい」ということだね。
- 平岩
- 今、お店のスタッフの方は、何人くらいいらっしゃるのですか?
- 西野
- 製造は12-13人。パートの方にも、フールセックを缶に詰めるといった包装の仕事などをしてもらっています。パートさんは、小さなお子さんが熱を出したとかで休む時もあるし、13時上がりとか、来られる時間に来てもらうようにしています。働きやすい勤務体制をつくるようにしていますね。中には、創業当初からずっと、30年近く勤めてくれている方もいますよ。
- 平岩
- それはすごい!それだけ、働きやすい環境ということですね。販売の方はどうですか?
- 西野
- 販売員の希望者は、非常に足りない。製造志望の子達も、厨房に空きが無いから、入れるまで仕方なく販売をする、というのではなく、積極的に販売に取り組んでほしい。お客様と話せない子が多いよね。この仕事は、人と話すことが好きでないとね。
- 平岩
- 今、「メゾン・ド・プティ・フール」さんは本店を含め3店舗ありますが、支店があると、目を配るという点でも難しさが増しますね。
- 西野
- 人もその分、必要になるしね。品物の配達は、自分が車を運転して、様子を見にいってます。各店との連絡事項は、LINEでやり取りしているんだけど。販売はマダムが統括してくれてます。
- 平岩
- 支店への配達って、スタッフの方に任せずに、シェフが自らなさっているというお店が、意外と多いようですね。確かに、その時に様子を見ることができますものね。



※店舗情報及び商品価格は取材時点(2018年6月)のものです。
最新の店舗情報は、別途店舗のHP等でご確認ください。
