Vol.17パティスリー モンプリュ 林周平シェフ 神戸ならではの菓子を発信する決意。譲れないフランス菓子への
思いと、今こそ問われる分析・判断力とは?

菓子職人の方々へのインタビュー連載。今回は、神戸「パティスリー モンプリュ」の林周平シェフにお話をお伺いしました。関西のホテルからキャリアをスタートされ、渡仏してパリの名店「ジャン・ミエ」などで修業。神戸のホテルや老舗洋菓子店でシェフを務められた後、2005年にこのお店をオープンされました。15年目を迎えられ、現在に至るまでの取り組みを改めて振り返っていただくと共に、今後の目標や、製菓業界の将来に対する思いなどをお伺いしました。

15年目を迎え、今後やりたいこととは?

平岩
こんにちは。こちらの店名は、正式には「monter au plus haut du ciel(モンテ・オ・プリュ・オー・デュ・スィエる)」といって、フランス語で“空高く舞い上がる”という意味ですが、お客様には「パティスリー モンプリュ」の愛称で親しまれているので、今日はその呼び方にさせていただきますね。もう15年目でいらっしゃるとは、あっと言う間ですね。
2005年12月にオープンして、最初は、店頭で製菓材料も売っていましたね。今も毎月のお菓子教室にいらしている方には販売しています。実は、「富澤商店」のような店がやっていない業態として、「量り売り」をやりたいんですよね。それだと、裏面表示シールとかもややこしくなくてすむ。
それをするためのステージというのが必要なんですよね。地ビールを売っている所でも、製造している様子が見えるからいい、みたいなのがあるでしょう。そういうのをやりたいですね。
平岩
それは、意外な視点です! これまでのインタビューでも、そういった発想をお伺いしたことは無かったです・・。
やるなら、2階建の建物でなく、同じフロアで完結する平屋が好きなので、広い所に移ってからですね。
最終的には、箱根の「オーベルジュ・オー・ミラドー」のような、宿泊もできて、お菓子、パン、料理を提供するオーベルジュをやりたい。自分はオーナーだけれど、用務員さんとか庭師になって、若い人達が働いているのを見守る。そういう毎日が楽しかったらいいな・・と思います。
平岩
なんと・・壮大な夢でいらっしゃいますね。昔から、そのように考えていらっしゃったのですか?
フランス的な考え方ですよね。店をやる前から、ずっと思っていました。1998 年に「シーサイドホテル舞子ビラ神戸」に入社して、当時、総製菓長でいらした西原金蔵シェフと一緒に働いていましたが、その頃から、65歳で店を閉めると考えていましたね。西原さんも、店を開業したら65歳で引退すると決めていらしたでしょう。でも結局、2018年5月に「オ・グルニエ・ドール」を閉店された1年後には、コンフィズリーの店をオープンされましたよね。絶対、やると思ってましたけど・・。パティシエって“止まったら死ぬ”人間ばっかりなんですよね(笑)。
平岩
私も京都に行った際に、西原シェフが新たに始められた「コンフィズリー エスパス・キンゾー」に伺いました。お菓子教室をされていた場所を使って、営業日を絞ってオープンされていますね。
誰かに伝える、教えるということは難しい。それが無くなって、ああいうふうに1人でやるとしたら、もっとコアなことをやりたい、と思いますよね。

スタッフに教える難しさと、妥協できない点

平岩
スタッフの方に教えることの難しさというのは、どういう時に感じられますか?
10のことを言って10わかる人というのはいないですよね。伝わらないこともあり、気づかないこともある。
特に、時間差で食べると「俺の菓子じゃない」というのがよくわかる。その菓子が、普通に店に出ていた時には、ぞっとしますね。お客様が召し上がって、「失敗」と思われるのではなくても、自分が思っているレベルに達していないのです。
平岩
オーナーシェフの多くの方が、その悩みを抱えていらっしゃると思います。
「100%」達成というのが無いのはわかっていますが、出来るだけ平均点を上げたい。うちは細かい仕事が多く、省くことが出来ないんです。多くの経営者は、どんな時でも誰でも作れるようにと平均化しようとしますが、自分はそれが出来ない。マニュアル化出来ないこともありますし、マニュアル化しても出来ないこともある。
機械化するために、ルセット(レシピ)を変えるということをしたくないんです。無理して作るということもしない、売り切れてもいいと考えています。
平岩
お店の営業時間や勤務時間も見直されているのですか?
今年の元旦から、閉店を18時に早めて、スタッフは18-19時には帰るようにしています。2年前から閉店時間を早めようと考えていたんです。勤務時間の分、給料を上げるということも難しかったですしね。
売り上げに影響は出るだろうが、従業員の健康と天秤にかけて、どちらがいいかと考えて決めました。
でもそうしたら、皆が、閉店時間に合わせた仕事をするようになったんです。ここぞ、という時に、スピードを出せる力をつける必要がありますね。
平岩
「営業日数や時間を減らして、売り上げが下がるのが恐い」と迷っていらっしゃるオーナーの方も多いですが、思い切って踏み切った結果、よい方向に進めることが出来たのですね。
「修業」とよく言いますが、人間は、「一生、勉強する」というのはあるけれど、「修業」は、どこかで止めなくてはいけないものだと思っています。
うちでは、3-4ヶ月に一度、スタッフの個人面談を行います。店のスケジュール、今後1年の予定は話してあるので、個々の予定を確認する。また、「お題」を出して、それに対する回答もさせます。
平岩
たとえば、最近ですと、どんな「お題」を出されたのですか?
「なぜ、うちの店で働かないといけないのか?」を各自に答えさせました。自分が何をしないといけないか、というのは、年齢や立場によっても違います。ダラダラとやっていても、後輩達から“舐められる”だけ。独立志向が強いなら、どういう人になるべきかを考えながら、やっていかなくてはなりません。
「スタッフが長く続かない」という店が多いですが、上の人間に裏表があってはいけない。自分に厳しくしないと駄目です。
平岩
それは、深い問いかけですね・・。林シェフからの「お題」に対しては、どんな回答が返ってきましたか?
8-9割の子は、製菓学校に通っている時に菓子店を食べ歩いて、「この店のお菓子が美味しかったから」、「それを作ってみたかったから」とか、「フランス菓子というものを作ってみたかったから」と答えるんですけれど。
彼らにはまだ無理だというのはわかっているんです。うちを辞めてから、この店で働いた意味がわかると思います。彼らがこの仕事を続けていって、成長していけたらいいなと。そうしたら、自分の役目を果たしたな、と思える。
この店で完結できる訳ではないんです。うちを卒業した元スタッフのうち、2人は自分の店を出し、1人はフランスへ行きました。彼女は辻調グループフランス校の出身で、一度、菓子店をやっている実家に戻ったのですが、そこを閉めて、フランスへ行くと。人生は短い。その間で、働いている時間は50-60年程です。「好きなことをしたらいい」と思います。
平岩
林シェフも、フランスで学ばれたことは大きかったですか?
講習会とかで、「フランスに行きたいんだけど、どうしたらいいですか?」というような質問を若い子から受けるんですが、「行ったらええやん!」と思うんです。その一歩が踏み出せない人が多い。自分が行った時は、結婚もしていて子供もいましたが、それでも出来ると立証しました。駄目だったら、帰ってきたらいいんです。その簡単な答えを見つけられない。やらない理由を探そうとするんですね。相談する人を間違えてもいけない。夢を追った人に聞かないと。

※店舗情報及び商品価格は取材時点(2020年3月)のものです。最新の店舗情報は、別途店舗のHP等でご確認ください。