変わらない思いの中で、変えてきたこと
- 平岩
- お菓子の開発や品揃えについて、最近、意識して取り組んでいることはありますか?
- 木村
- 去年、ショーケースを変えて、生菓子は減らしたんですが、チョコレート用の温度帯の部分を増やしました。焼き菓子もさらに増やしていきたいですね。
生菓子は、手間がかかるけれど、値段はそんなに上げられないですよね。でも、お菓子の値段はずっと安すぎたと思うので、10円、20円ずつ上げてきて、幸いこの辺のお客様は受け入れてくださっているのでありがたいです。
- 平岩
- 都心のお店ですと、700円、800円といった生菓子も見られます。少しでも安く売るという時代ではなくなってきていますね。
- 木村
- 僕の師匠は、そこそこの材料を使って美味しくするのがパティシエの仕事だと言っていましたが、単純に原価率がどうということではなく、いい材料を使って、お客様にもそれをアピールするということも必要だと思います。正直、原価計算とかしないんですけれど。
若い子達も、店にいる時は、何気なく気づかなかったことにも、いつか経営者になった時に、わかるかもしれませんね。
- 平岩
- 小麦粉も色々と使い分けていらっしゃいますか?
- 木村
- 5~6種くらい使っています。フランス産の粉なども使いますよ。ヴィエノワズリーもやっていますから、クロワッサンには中力粉を使うなど、色々試していますね。
- 平岩
- コロナ禍は世の中を大きく変えましたが、「お取り寄せ」ブームは、一時的なものではなく、新型コロナがワクチンで収まったとしても、これからも伸びていくでしょうね。
- 木村
- 通販も、届いた先から破損していたとクレームがあったり、色々問題もあるんですよ。うちの場合は、家内や担当スタッフが対応していて、なかなか大変です。
最近は、近くのレストランのオーナーなんかも、コロナ禍で料理の持ち帰りや通販なんかを始めていて、僕らは、テイクアウトや配送のテクニックがあるので、食品表示シールのことから教えたりもしています。レストランをやっている友達も多いですし、彼らに対して、コロナ禍でもお菓子屋さんは賑わっていて申し訳ないな、という気持ちもあって、地域全体で経済を回してよくしていきましょう、というふうに思っていますね。




- 平岩
- それは素晴らしいですね。
- 木村
- これから先、コロナ禍後の時代をどう乗り切るかを考えていかないといけないと思います。商品のクオリティを保つというのは当然ですが、サンプルで貰ったものも捨てずに活かすとか、エコについても考えていかないといけません。昔から、ゴミ箱のゴミが少ない店はいい店だって教えられてきました。うちも、切り落としとかを捨てずに、3時のおやつにしたり、パートさんに持って帰っていただいたりしています。私生活だって物を減らして、コンパクトにしていかないといけませんよね。
- 平岩
- 材料を大切に使い、ゴミも出来るだけ減らすということは重要ですね。
- 木村
- 若い子達の働く環境もよくしていかないと。ある業者さんから、彼らに「お前達、おかしいだろう!」と言うのは違うんだ、「僕らがおかしいんだ」と考えた方がいいと言われて、なるほどと思いました。生まれた時から携帯電話もあって、バックボーンが違うんですよね。使わない時は火を消すとか、細かいことも1つ1つ言ってやらないと。昔のやり方に固執していては駄目ですね。

- 平岩
- コロナ禍以降、営業時間を短くするなどされていますか?
- 木村
- 以前は夜19時半まで営業していましたが、18時半までにしました。これはコロナが収まっても変えないつもりです。
- 平岩
- この一年で、非常に多くの菓子店が、営業の終わり時間を繰り上げていますね。皆さんから、それで売り上げが下がるということは無かったと仰る声も多数伺います。
- 木村
- 「ディーン&デルーカ」に生菓子を出していましたが、それは週末だけにしました。朝の出勤時間も、以前より遅くしています。今の若い人達は、給料よりも自分の時間を優先しますね。
目標を決めて、「今年はこれをやろう」と、ステップバイステップで実現させるようにしています。出勤時間のことにしても、スタッフに自分達で考えて決めさせました。

- 平岩
- 今、スタッフの方は何人いらっしゃいますか?
- 木村
- 製造は12人と自分がいて、あとは販売や包装のパートさんが7~8人います。製造スタッフの世代も幅広くて、40代から10代までいる。自分はもう父親くらいの年齢だったりする訳ですから、向こうから見たら、プレッシャーだろうなと思います。でも、親ではないんですよね。自分達もそうでしたが、そうやって、社会の掟を教えられていくんです。僕も、お世話になった親方を定期的に思い出しますが、うちから独立して地方で開業した子達に、地元の食材を紹介してもらったりすることもあり、今でも関係が続いています。地方は、どこも働き手が少なく、少人数でやらざるを得ないので大変そうですが・・。
- 平岩
- 私も、木村シェフの元で修業され、九州や四国で独立されている方のお店に伺ったことがありますが、そのように、ずっと絆が繋がっているのは素晴らしいですね。
改めて、今後、若い世代のパティシエの方々に伝えたいことや、ご自身がやっていきたいことをお聞かせください。
未来に向けて若い世代のパティシエ達に伝えたいこと
- 木村
- 若い人達は、携帯電話ばっかり見るのではなくて、美術館に行くとか、レストランに行くとか、色々な経験をしてほしいですね。東京で働くことには、そういうメリットもある訳ですから。
自分も、やるやらないはともかくとして、新しい物を知っておきたい。古いこともまだ消化しきれていませんけれど・・。
漫画とか、昔感動したものを読み返したいなと思います。最近、『あしたのジョー』を「メルカリ」で入手して読み返したりしています。『包丁人味平』は、一番初めに読んだ、料理人の漫画でした。うちの父親も菓子職人で、「ドンク」の製菓職長を務められた井上松蔵さんが、その後、大阪のホテルにいらした際に師事しました。そのホテルの総料理長の木村さんという方にも目をかけていただいたのですが、木村さんは、『包丁人味平』の中に、「エスワイル7人衆」といった感じで登場されていたんですよ。22~23歳頃に読んだ『ザ・シェフ』とかも、懐かしいですね。
- 平岩
- 「メルカリ」で漫画を購入されるとは、意外でした。しかも井上松蔵さんのお名前をここで伺うとは・・!お名前を冠したスイートポテトのブランドが、今もありますね。そして「エスワイル」と言えば、1927年から横浜の「ホテルニューグランド」で初代総料理長を務めたサリー・ワイル氏。日本のフランス料理界を牽引した方ですね。そんな繋がりがおありでしたか・・。

- 木村
- 何でも「時短」と言われる時代で、そこにはマスコミの責任もあるんですが、物づくりの上で、人間として丁寧に料理や掃除にかける時間というのも大事です。手間ひまをかけた美味しさというのがあるんですよね。
うちの母は、手作りのものを食べさせてくれた人で、パンの耳を揚げて砂糖をまぶしたみたいなおやつも作ってくれた。「時短」するところはしても、省いてはいけないところと、うまくバランスを取っていかないといけません。
- 平岩
- 機械化する部分もありつつ、手仕事でやる部分と、両方を使い分けていく必要がありますね。
- 木村
- クリスマスも、昔みたいに徹夜なんてせずに、スタッフの体力を考えた仕事配分をしていかなくてはなりません。
2020年のクリスマスも、予約していないと買えませんよと、お客様にも協力や理解をしてもらって、いい形で出来たと思います。閉店時間を早めたことで、どうしても閉店後にしか行けないというお客様もいらしたりするんですよ。そこは、柔軟に対応することもありますが、オープン前にお客様を入れてしまうと準備の仕事が滞るので入れないとか、線引きはします。日本はお客様最優先というところがあって、そのあたりがなあなあでした。
- 平岩
- フランスでは昔から、スーパーでも何でも、閉店15分前ともなれば、早く帰れとばかりに追い出されましたよね(笑)。日本のお店は、閉店時間になっても買い物中のお客様がいらしたら、丁重に対応しますからね。
- 木村
- 少しおこがましい言い方になりますが、お客様を教育するというか、そこは自分達がしっかり言って、わかっていただかなくてはなりません。
あと、通販をやっていると特に、包材の問題も気になります。今、マイクロプラスチックによる環境破壊なども問題になっていて、少しでも減らしていきたいと思っていますね。
自分達が親達の世代から受け継いで生かされてきた中で、次世代にも伝えていきたい、残していきたいと思います。当たり前のことですが、食べ物を大事にするということも含めてですね。
小さいことでも、未来につながることをしていきたいと思っています。お店1軒では小さいことでも、みんなでやれば大きなことになっていきます。無駄なことは少なくして、喜んでもらえることを増やしていきたいです。
- 平岩
- コロナ禍の中、テイクアウトや配送品が増えた分、ゴミが増加しているということは、大きな問題となっていますね。製菓業界でも、今後、取り組んでいくべき大きな課題だと思います。お店側だけでなく、利用する顧客側も、エコバッグを持ち歩くことを初め、不要なプラスチックスプーンを断るなど、理解して、協力していかないといけませんね。
今日は、参考になるお話を、どうもありがとうございました。

木村成克シェフ プロフィール
1963年、大阪生まれ。神戸「ポートピア・ホテル」や「ポールボキューズ大丸」を経て1987年に渡仏。ストラスブール「パティスリー・ネゲル」、パリ「パティスリー・ラ・ヴィエイユ・フランス」で勤務。その後リヨンの「ショコラティエ・ベルナッション」など11年間で計6店舗に勤務し、「パティスリー・ラ・ヴィエイユ・フランス」で日本人初のシェフパティシエに就任。帰国して2001年、福岡「パティスリー・フレ」のシェフパティシエに就任。2007年秋に「ラ・ヴィエイユ・フランス」をオープン。2012年には仙川店もオープン。現在、社団法人日本洋菓子協会連合会公認技術指導委員を務める。

※店舗情報及び商品価格は取材時点(2021年03月)のものです。最新の店舗情報は、別途店舗のHP等でご確認ください。